タイトル

幸せを運ぶ先祖供養

旧書籍はコチラ>>

先祖供養のいろいろ
直系供養と傍系供養の祀り方

 本家とは先祖の祭祀を継承する子孫のことをいい、現在は先祖の祭祀を引き継ぐことが確定している継承者が、実家を離れ別居している場合も本家としています。また二男や三男のように先祖の祭祀を継承しないが親と同居している兄弟も本家としています。ただしこの場合、独立して家を別に構えれ
ば分家となります。
 本家として祀るべき先祖は、亡くなった時に本家に籍があったかどうかが目安となります。
 逆死(ぎゃくし)した子供や一度嫁に行って離婚し再び実家に戻り元の姓に戻った娘などもこの例に入ります。独立し一家を構えれば、分家初代となりお墓や仏壇も別につくらなければなりません。多くの人は、独立しても仏様がないので墓はいらないし、父や兄が建てた墓にお参りし先祖供養はしていると思い込んでいますが、親や先祖があって自分があるのです。独自に供養塔を建てて先祖を祀るべきです。
 分家墓がない家は、何をしても物事が中途半端になり安定性がなかったり、若死にか逆死が出るなどいろいろな問題が起きてきます。分家墓は自立した家族の証なのです。

水子供養

 古くより間引きされた子供、堕胎された子供、流産した子供を「水子」(みずこ)と呼んでいました。これは「水の神」を出産する「産神様」と信仰があったことと共に、間引きした子供を川に流して葬ったことに由来すると考えられています。また、堕胎された子供を「血塊」という悲しい呼び方をすることもあります。「7歳までは神のうち」という言葉がありますが、水子はこの世に誕生することができずに魂の宿る肉体をなくし、この世と他界に浮遊し続けているのです。
 母親の胎内にあった小さな命の息吹は決して草木のようなものでなく、あなたのこの世での系譜に存在するはずだった子です。たとえこの世での系譜にはなくても、あなたの魂の系譜には存在しているのです。先祖を祀るのとなんら変わるところはありませんので、水子の魂を放置したままにしてけません。
 私どもが各地で相談を受けておりましても、ほとんどといってよいぐらい、水子のおられる方がいらっしゃいます。そういう方々に、水子をどのように供養しているかとお尋ねしますと、供養心のある方の場合は、お寺様に戒名をつけていただき、過去帳に入れてもらったり、水子地蔵を作って、お寺さまに祀っていただいている、とお答えになります。しかし、半数以上の方は、悪いこととは思っているが、何もしていないと答えられます。
 なかには、水子は祀らなくてはいけないものなのか、形も何もないものだし、恥ずかしい気がすると不満気におっしゃいます。
 水子をお祀りもせず、供養もしていない方を見ていきますと、子供たちに非常に悪い影響が出ていきます。たとえば、意志薄弱、よく事故に遭う、親に反抗する、病弱といった内容です。とくに水子が3名以上いるのに、何の供養もしていないと、子供がノイローゼになったり、不登校になったりします。また、水子を供養しない報いは、親にも出て、交通事故に遭ったり、子宮ガンや乳ガンになったりします。妊娠すれば十月十日(とつきとうか)後には子供が生まれてきます。生まれれば、その日からお乳をやり、下着を替えたりして、愛情を惜しみなく注いで育てます。経済的な面でも、今、子供一人育てるのに3000万円から5000万円くらいかかるといわれます。水子は自分のからだの都合や夫婦の都合で世に送り出すことができなかった姓名です。
 生まれた子供ばかりかわいがり、お金をかけ、水子のことは顧みないでいると、水子は、自分のことも気にかけて欲しいと合図を送ってきます。これが子供や親への病気や事故となって現れるのです。

水子地蔵
水子は地蔵の石塔を逆位にして建てます
 
逆死
子供が、親より先に死ぬことをいい、こうした悲しい出来事が二度と起こらないようにという願いをこめて、墓地の右手前に横向きに建立する墓が逆死墓です。

分家初代
分家とは先祖祭祀を承継しないで、新しく独立した家庭を興すこと。分家初代とはその一代目をいう。

分家墓
同じ分家でも、初代、二代また家系の流れによってお墓の建て方が違います。費用の問題で石墓が建てられない場合は木標でもかまいません。

水子の命日
水子の場合、流産や死産、または中絶や堕胎などで子供がなくなった日を命日とします。とくに、遺体や遺骨のある水子さんの場合は、ご供養をより念入りに執り行ったのち「お墓」に納骨します。