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幸せを運ぶ先祖供養

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第1章 先祖供養とお墓の関係
お墓は単なる記念碑ではない
  供養とは、仏教の言葉である梵語「サンスクリット語」のPujanaを漢語に訳してもので、「供給資養」という意味です。これは敬いの心をもって、三宝(仏、法、僧)と父母、師長、先祖などに香華(こうげ)、灯明(とうみょう)、飲食(おんじき)、財物などを供えるということです。
 私たち日本人には、民族が伝えてきた社会的な慣わしをよく守り、よい子孫を生み育て、家系を保ち、死後は子孫を見守るよい先祖になるという伝統がありました。お墓を建て、折りある事に供養するというのは、ご先祖様への報恩感謝(ほうおんかんしゃ)の証しであり、自分もよき先祖になるという決意の確認なのです。この確認作業を通じて、一家の一族の結束を固め、さらに民族の習俗を守り伝えることによって、日本人としての自己確認を行ってきたのです。言いかえれば、お墓とは、一家や一族、さらに民族や国家、ひいては人類が大切に守り育ててきたものを次世代に連綿として伝承していく歴史の象徴的存在といってもよいのではないでしょうか。
 お墓は単なる記念碑であってはなりません。ご先祖様への敬愛の心と、自分の後にくる世代の反映と幸福を願う気持ちがこもっていることがぜひとも必要なのです。さらに、自分の一家、一族だけでなく民族や国家、人類の平和と反映を願う気持ちも必要です。高いお金をかけて上等の墓石を使い、立派なお墓を建てたから、それで子供としてのあるいは子孫としての義務は果たしたとお考えになる方がよくおられます。しかし、お金をかけて形式的にお参りしているからといって、ご先祖様が喜ぶとは限りません。大切なのは、心を込めてご先祖様の霊に感謝し供養することです。

正しいお墓の建立が幸せを呼ぶ
 あるところへ参りました折、20〜30人の使用人がいる会社の社長さんが「私は、昔から非常に運がよくて、何をやってもうまくいくのです。先祖供養などしたことがありませんが、失敗したことがありません」とおっしゃっていました。けれどもこの方がそれまで順調な人生をたどってこられたのは、実は大勢のご先祖様のご加護を頂いてきたからなのです。言いかえれば、運がよいということは、ご先祖様の陰徳(いんとく)を使わせていただいているからで、それを自分一代で使ってしまうと、自分の子供や子孫たちの分がなくなってしまいます。
 ですから先祖供養をしないでいると、子供や孫の代に大きな不幸に見舞われたり、家運が衰退してきたりします。子々孫々栄えていくためには、自分が使う分以上に陰徳を積まなければなりません。自分が幸運なら、そのことをご先祖様に感謝し、人に施しの心を持つことが大切なのです。
 いくら立派なお墓を建てても、お参りしなければ、ご先祖様は喜びません。年をとった両親に立派な隠居部屋を作ってあげたものの、子供や孫が寄り付こうとしないというのと同じです。
 ご先祖様が喜んでいない場合は、それがなんらかの形で家族の身に現れてきます。たとえば、家族が病気になったり、事故に出会ったり、金銭的な損失を受けたり、隣人や知人とトラブルを起こしたりします。
 お墓を建てて何年かのうちに、そのようなことが起こったら、まずお墓の建て方(墓の向き、材質、地形、祀り方など)に問題がないか調べます。
 それに問題がないとわかったら、次に建立後の供養をきちんとしているか、それも形式的にではなく、心を込めてやっているか、胸に手を当ててよく考えてみましょう。供養が行われていなかったり、行われていても形式的なものだったら、ご先祖様の霊は浮かばれません。そうすると先祖の霊は、子孫に心を込めて供養してくれるよう促します。これが家族の不運という形で現れるわけです。よくご先祖様の罰が当たったなどといいますが、そんなことはありません。むしろ子孫のことが気になっているからこそ、いろいろな形でサインを送ってくるのです。子孫が益々繁盛することをご先祖様も願っているのです。
供給資養
「プージャー」というサンスクリット語の訳で、略して「供養」という。

香華・灯明・飲食
お香と花とロウソクと食べ物で、昔から必ず仏様にお供えするべきもの。

報恩感謝
仏や先祖などの恩に感じて仏事・布施などを行うこと。
陰徳
名前を明かさず善行をつむこと。人命救助をしながら名前も告げず去っていく人、何十年も無縁仏のお墓を掃除する人など。その善行が表彰されたり世間に脚光を浴びない。こうしたことを行っている人は次の代に子供が全部、金銭や子宝に恵まれるといわれています。陰徳を積むことにより、因縁の力を弱めたり墓相による悪い影響を回避することも可能です。