三年ほど前の五月のある朝、
風会の京都上桂墓地で、五輪塔、代々墓、地蔵様など十三基の石塔が、ばらばらになって四散し、傷だらけで見るも無残な有り様になっていました。
誰かが投げつけたのか、石やガラスがそこら一面に散乱していましたが、どうしたことか足跡がありません。何者がこんなひどいことをしたのか、さっぱり見当もつきません。警察も指紋を取っていろいろと捜査してくださいましたが、犯人の手掛かりさえつかめませんでした。 それから半年程経ったある日のことです。 私が墓地に行きますと、 風会の建物の裏の畑の持ち主が、 「こんな所に家を建てて、さっぱり作物ができんじゃないか、たたきつぶしてやるぞ」と怒鳴り散らしています。 |
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相手にもしないでおりましたが、その時西の方に黒煙が上がりました。 「火事はあなたの家の方角と違いますか」と言いますと、その人はびっくりしてとんで帰りました。 やはりその人の家から火が出たのです。不思議にもその人の家だけが一物も残さず燃え、飼い牛まで丸焼けになってしまいました。その後、「あれは墓の祟りじゃ」という噂が村中に広がり大評判になりました。 実は半年前、その人が牛を連れて野良仕事に来た時のことです。 休憩のとき石塔に牛をつなぎ、徳風会のポンプ小屋まで水を飲みに行っている間に、何に驚いたのか牛が暴れだし、次々石塔を倒していったのでした。 それにしてもその人の家から火を出し、その人の家一軒だけが全焼した上、石塔を倒して暴れた犯人の牛も焼け死ぬとは、村人たちもさぞ気味悪くなったことでしょう。 その後、「墓地で遊ぶと火事がいくぞ」と言われ、村の子供たちも墓地で野球をしなくなりました。 それからの村人たちは、墓地に気を使うようになったのです。 |