竹谷先生の鞄を持った私は、日々墓の不思議さを目の当たりにしたのです。当時の一コマ一コマの思い出が、雨につけ風につけ竹谷先生の教訓とともに今でも私の胸によみがえってきます。
ある夜、鳥取県西伯郡の方が竹谷先生の講演を聞かれ、「是非お墓を見て下さい」とお願いされました。さっそく翌朝竹谷先生についてお墓へまいりました。見ると図のような墓だったのです。
自然石の石碑の右の端に二本、普通の墓の右の端に一本、図のように穴が空いており、セメントで詰めておりました。ところがセメントが乾かぬうちに流したので、そのまま固まってついてしまっていたのです。
竹谷先生は一番に、「あなたの家の娘さんは唇がおかしい」とおっしゃいました。
墓石のセメントが垂れているのと同様に、娘さんの唇の下の肉が垂れているのです。
次に「変死した人がいる」とおっしゃいました。
確かに長男の方が戦死されていました。自然石は頭が自然なので凸凹です。下は安定性がなく、セメントで接着しなければ倒れますので、頭と足の悪い人、腫れ物ができます。また男子血統も無くなるとおっしゃたのですが、事実その通りになっていました。初めて聞いた私がびっくりしたのです。
次の駅では、旅館を営んでいらっしゃる家のお墓を拝見しました。石垣の上に大きな石碑、猫足で周囲をコンクリートにしてあるお墓でした。
「草も生えぬようにコンクリートをすると、その家は財も子供も生じてこない形です」と竹谷先生がおっしゃいますと、その通り男の子が次々死亡するとのことでした。
「猫足は、養子になれば財ができますが、長男相続であれば財産は無くなります」とおっしゃいました。
その家も男の子が二人あったのですが、コンクリートをしてから五年の間に死亡され、養子になっていらっしゃったので財産的には良い家でしたが、墓の通りになっていたのです。
その他、いろいろな竹谷先生のお話を聞きながら、私は墓石の不思議さに打たれ、感心し、よく研究されたものだと驚きました。
それ以降、私は墓石と家運の不思議さに取りつかれていったのです。